法雲寺住職が皆さんに伝えたい事、日常に感じた事について書き記して参ります。
毎月の更新を予定しておりますので、是非更新をお楽しみにお待ちください。
平成30年01月25日
寒中お見舞い申し上げます。
本年最初の発信となります。
毎年、年末から年始にかけて除夜の鐘を撞いていますが、寒い中、170名超と今回も多くの方にお越しいただきました。
鐘を撞かれた皆さんは、煩悩を消し去り、欲を持たない心で新年を過ごす事が出来たでしょうか?
とはいうものの、私、12月30日にインフルエンザBを発症、例年だと寒さに耐えながら鐘の脇にて整理札を配っているのですが、さすがに今回は他の人に移す恐れがあるので、家の中でも隔離され、鐘の音は床の中から聞いておりました。
さて、あっという間に1月も下旬となってしまいましたが、全国的に今季最強といわれる位の寒波が日本列島を覆っているようです。
その影響で、この地方ではあまり見られないような氷の現象を見ることができました。
手水鉢の筧(かけい)から落ちる水が凍ったり、本堂の雨樋からの鎖樋が凍ったりと・・・
「手水鉢」 「鎖樋」
本堂新築から14年、初めての光景です。
それでも間違いなく季節は進んでいるようで、この寒さの中でも、梅の花が芽吹いてきました。
「梅」
現代の私たちの快適な生活とは、ある意味大自然の流れから逆行しているものだと思います。
数年来の異常気象等は、その反動であり、大自然からのメッセージではないかと感じることがあります。
「行雲流水」という禅語があります。
「空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ、また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ」です。
自然の流れにあがらうことなく生きていく事ができればいいのですが、なかなか難しいのが現状です。
しかし、そんな現代でも少しでもそんな境涯で、無理なく無駄なく生きていきたいものです。
お彼岸には「春彼岸」と「秋彼岸」があり、春と秋の年2回行われる、前後7日間に渡る修行の期間を指しています。 先祖を敬い、慈しみ、より充実した精神生活を送るために佛法を聞き、行い見つめなおし正す日でもあります。
茶道にて興味深い禅話として紹介されることのある「賓主歴然」(ひんじゅれきねん)という言葉。
こちらも元々は臨済宗妙心寺派の開祖である臨済義玄禅師の語録である「臨済録」の中で生まれたものです。
こちらで言う「賓」とは客人の事で、「主」とは主人・もてなす側だとされており、もてなす側ともてなされる側、その区別は歴然ではっきりとしています。
この様にお互いの関係がはっきりとしている以上、客人と主人の分別を守り接することも大事ですが、禅の修行に置いてはいついかなる時も立場が入れ替わる事も起こりうると考え、それを踏まえて自分の立場だけではなく、相手の立場に立ち接することで初めて理想的な賓主の関係が築くことが出来るという考え方です。